index/三国志大戦

孫文台は、病に伏している。

と、いうもっぱらの噂で、ここ、同盟軍の駐屯地は満ちていた。
先般からの出陣では功績も上げ、洛陽での消火活動でも禁を犯しそうになる兵をよく抑えて指揮する一方で、重臣も失い、出陣先での兵糧問題など気苦労も如何ばかりかと密やかな同情の声が、陣中でもないではなかった。

その渦中の人はというと。
己の陣に引き篭もり、小さな朱塗りの箱を開けて溜息を漏らしていた。
諸国連合の軍中ではどこに他国の目が光っているか分からない。だから明日の朝、自国に帰るまではしまい込んでおかなければ、と思うのだが、もう一度見たい、という欲求にはさしもの孫堅も簡単に抗えなかった。
それが伝国の玉璽であるがゆえに。
偶然にも手に入れた、玉璽であった。
これを手に入れた自分の、そして一族の行く末に想いを馳せた。
胸一杯になった野望の欠片が、空気の固まりとなって唇から零れる。

「寝ていたのではなかったのか?」

突然、背後から声をかけられ、ぎょっとなって振り返った。
「曹操…殿……」
低い声で呟いた。
「何故、ここに」
居る筈のない人だ。
焦土と化した洛陽の占拠よりも、と董卓軍殲滅を訴えたが聞き入れられず、単軍追撃に出たのだが、徐栄軍と李儒の計によって散り散りに敗走中であると、日中に情報がもたらされたばかりであったのだ。
そのまま国へ帰るのでは、という報せもあった。

「病は。もういいのですか」
「お主こそ」
「ああ…俺」
静かに寝所へ全身を滑り込ませた。後ろ手に帳を下ろす。
「全軍では明日戻ってくるつもりだが、何分、酒が欲しくて」
何を思い出したか、苦々しげに口を歪める。
「自軍を抜けて来ましたよ。そうしたら…」
曹操が一歩近づいてきた。
孫堅は、首だけを曹操に向けたまま、ゆっくり、ごくゆっくりと手に握っていた小箱を胸元に入れた。
「孫堅殿が病に倒れているとの噂で満ちている」

もう一歩、歩を進めたきた。

「まぁ、外に待たせてある元譲は不平たらたらだったが、俺一人で見舞いに来たものをわざわざ言い回る孫堅殿ではない、と俺は考えているのでね」
今の孫堅にとって、正直、曹操の考えなどどうでもよかったが、玉璽を手にしている以上、余計な口は災いを呼ぶ。
そして同行者の名前を聞いて、外の見張りが音もなく倒された上に曹操が現われた状況が、ここにきてようやく想像出来た。
いつもなら程譜や黄蓋が務めているところに、今日の‘仮病’を触れ回るために見張りを交代していたのだ。
だが、最大の不明は自分が玉璽に夢中になって外への警戒を怠ったことに他ならず、後で程普にばれては、何を言われるか知れたものではない。
小箱を胸元に収めると、その手をそっと引き抜いた。
そして、なるべくゆっくりと、身体ごと振り返る。

曹操は更に近付いていた。

「噂より元気そうでよかった。ご尊顔を拝して安心しましたよ。…ところで」
一つとはいえ年長の曹操は、さも揶揄するように丁寧に話しかける。
酒の香が仄かに流れてきた。
「その、この世と思われぬ光は何です?」
見られたか、と鼓動が跳ね上がったが無表情を装い、胸元に伸びてきた白い腕を、がしっと掴みとめた。
掴んだ腕が熱かった。
「お主、酔っているのか」
「ん…そうかな。ここに来る前に飲ってきたのは確かだ」
よほど飲んだのであろうか、酒気が濃くなった。
「そのまま帰るつもりだったが、不思議な光が見えたので…」
伸びてきたもう片方の腕を払いざま、曹操の顎を掴むと、無防備に晒された喉骨が苦しげに上下した。
「それでも、他の陣所だったら立ち寄りはすまいがな」
だが表情では、むしろ心底可笑しそうに、くつくつと笑った。
「何せ敗走した上に勝手に酒を頂戴している身だ。さあ、さっきの光の正体を出せ…」
それ以上の言葉は、孫堅の唇によって吸い込まれた。
が、すぐ離れた。
「それ以上喋るな。人が来るだろう」
「俺は構わん。挨拶の順序が違うと…袁紹がうるさかろうが、あんなヤツより気になるものがある」
本来なら気にするべきところを、あっさり流された。

何とか玉璽のことを…曹操は、玉璽とは知らないが、気を逸らさなければならない。

「酔うとうるさいな、お主は」
再び孫堅の唇が曹操のそれを塞いだ。
今度は簡単には離さない。
舌を絡めると、丹念に舐った。
意外にも曹操はそれに応え、流し込まれる唾液も音を立てて嚥下する。
やがて彼の方からそっと離れると
「口を吸うだけでこれほど激しいとは、奥方もさぞ大変だろうな」
また、愉快そうに喉の奥で笑う。
「ほざけ」
素早く着物の袷を緩めてやると、生々しい矢傷や擦過傷が晒された。
「これは……」
昼間の報せが思い出された。「……かなりやられたな」
「ああ。久しぶりに死ぬかと思ったが…ぐぅっ」
その、傷だらけの身体を乱暴に押し倒された曹操は、さすがに痛みに顔を歪めたが、抗議はしなかった。
孫堅が、首筋に唇を這わせながら囁く。
「まだまだ、これからだろう。もっと死ぬ目に遭うぞ」
言葉は率直で尚苛烈だが、死地から脱したばかりの肌に落とされる心地良い温かさに、曹操の身体が微かに震えた。
唇は傷のあるところも、ないところも区別なく通っていく。
時折、擦過傷や裂傷を強く吸われて、思わず孫堅の背中にしがみ付いた。
「く…っ、あっ…」
「痛いか?」
「いや、…構わん」
「そうだな、大将がこれくらいのことで音を上げていては部下も先が思いやられる」
孫堅の視線がちらりと寝所の外に流れる。
外の者に聞かれないよう声を出すな、と言っていた。
行為もここでは止まらない、という訳だ。
「だが矢傷に‘それ’は止めておけ。あまりいい傷ではない」
察した曹操がさすがに釘を刺したが、孫堅は朱に染まった舌で自らの唇を舐めると嘯いた。

「さあ。知らんな。今更だろう」





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