| 「はふぅ〜。気持ちいいなぁ」 湯船の中で、啓太は呟いた。 学生寮の風呂で遅めの入浴を楽しんでいるところだ。 いつもはクラスメートの和希も一緒なのだが、今日は用事で出かけなきゃいけないから一緒に行けないんだ、と言われていた。 「風呂くらい1人で行けるよ」 と、啓太は答えた。 「いや…うん、そうだな」 和希が曖昧な笑みを浮かべていたのを思い出す。 でも、結局いつも通りに和希と風呂に来なかったことで、普段より遅めの入浴になったのだった。一緒でないと規則正しい生活も出来ないのか、と、ちょっと情けない気もしたが遅い分、人も少ないし気分はゆったり出来る。たまにはこういうのも良い。 周りには6人ほど、何年生か分からないけど学生がいたが、お互いの会話がないところをみると皆、1人で来たのだろう。 水音や洗面器を使う音が響くだけで、静かなものだ。 啓太は湯船から出ると、手近なシャワーに腰掛けを置いて座る。頭からシャワーを浴びて、シャンプーを手にとった。学生寮の共同シャンプーはフローラルな良い香りがする。男子校なのに変わってるな、と思う。こんな香りのシャンプーは妹が使っているものか、前の学校のクラスメートの女子からほのかに漂う香りでしか体感したことがない。 掌で少し泡立てて頭の上で更に泡立てようとした時、からり、と浴室の引き戸が開く音がした。 何気なくドアの方を見ると、そこにいたのは泣く子も黙る、学生会副会長、その人だった。 「こんばんは、中嶋さん」 啓太は屈託ない笑みで中嶋を迎えた。 「ああ」 少し無愛想な声で中嶋は返した。啓太を頭の下から爪先までを一瞥すると、さっさと湯を浴び、湯船に入った。 同時に、湯船に浸かっていた2人ほどの学生がそそくさと浴室を出て行った。彼らの表情から、中嶋を避けての行動だったことは明白だが、せっせと頭を洗い出した啓太は知る由もない。 啓太はシャンプーを洗い流し、コンディショナーをつけたところで、ふと、視線を感じて振り返ると中嶋と目が合った。 何だろう、と思って中嶋が何か喋るのを待ったが彼も視線を外さずに見つめ返すだけだ。 「どうかしました?」 啓太が聞いた。 「気にするな。お前を見ていただけだ」 「え」 さらりと答えた割には、啓太には気になる回答である。ちょっと恥ずかしい。 が、しかし。 顔はこちらを向いてはいるけど、メガネをかけていないから気にすることないよ、と自分に変な、しかも何故か言い訳をして、洗髪を続行する。 固く目を閉じているのは、コンディショナーが目に入ったら痛いからだ。 洗髪を終わらせて、身体を洗い始めたところで、ふと、中嶋の方を見ると湯に浸かったまま啓太のすぐ傍に来ていて、やはりじっと見ている。 「あ、あのぅ」 それは気になるのでやめて欲しい、と言いかけたところへ 「背中、流してやろう」 という申し出に被せられて、つい、 「お願いします」 と、言ってしまった。 湯船から出てきた中嶋が啓太の後ろに座る。 風呂場に残っていたほかの生徒が妙な顔をしてこちらを見ているのが気になる。 向こうからの申し出とはいえ、すぐさま先輩にお願いした自分が図々しかったかな。 フツーの先輩じゃないし。 フツーじゃなくても、これが王様だったら誰も気にしなさそうなのに。 よりにもよって中嶋さんだし。 考えたのはほんの短い間だったろうに、訳も分からず顔に血が上ってきた。 「どうした、啓太」 ふいに中嶋が声をかけてきた。 「え、何がですか」 「顔が赤い」 「あーいやこれ…はっうわわっ」 中嶋が泡だらけの人差し指で、啓太の顎から耳までのラインをすうっとなぞったのだった。 背後にいるのに何故分かったんだろう、と聞く間もなく、 「流すぞ」 何事もなかったかのように、中嶋は啓太の背中に湯をかけた。 「あとは自分で流して、浸かっておけ」 「あ…はい、ありがとうございます。あの」 「何だ」 「俺、中島さんの背中流しますよ」 「俺は自分で洗うから、いい。気にするな」 何だかこちらの考えを見透かされたような返事である。少し悔しいので一言言おうかと思ったが、他の生徒の手前、あんまり絡むのはよそう、と思った。 本当は啓太自身の為に、中嶋に絡むのは止した方がいい、というのが正解であることは当人には分からないものである。 おとなしく湯船に入ると、中嶋から少し離れたところに沈んだ。 周りの学生達から、そろそろ上がろうという雰囲気が漂い始めたので、啓太も温まったらそろそろ上がろうかな、と思い始めた。風呂から出たら、明日の予習を少ししておかなければならない。油断したら落ちこぼれそうで、前の学校では殆どやってなかった予習をするようにしているのだった。 皆、予習とかしてるのかな。 中嶋をちらりと見た。予習しなくても出来そうな人である。 その中嶋は始終無言で髪を洗い、身体も洗い終わり泡を流しているところだった。 さっきのは、何だったんだろう、と思う。男に見つめられても別に嬉しくないし、そういえば顎、撫でられたけど…撫でられた…ような。さり気なかったのでどうでも良くなってきた。 その時、再び浴室の引き戸が開く音がして、そちらを見た啓太はぎょっとなった。 入ってきたのは、七条臣だったのだ。 七条はすぐ啓太に気付くと 「こんばんは、伊藤君」 と、言って微笑みかけた。 「こんばんは…七条さん」 その声を聞いた中嶋が、ゆっくりと引き戸の方を見た。 「おや、中嶋さんも…こんばんは」 中嶋にも変わらぬ笑顔を向けた筈なのだが、明らかに何かが違う。 「ああ」 中嶋は無表情だ。 「副会長、今頃入浴ですか」 中嶋は無表情に加え、無言である。 「ああ、ひょっとして会長の仕事の残務整理ですか」 言いながら、七条は中嶋の隣に座ると身体に湯をかける。 「背中、流しましょうか」 「いらん」 こういう問いかけには即答である。 「おかしいと思ったんですよ、いつもあなたの入浴時間は外してここには来るようにしているのに、いらっしゃるから」 周りが急に慌しい雰囲気に包まれた。 中嶋と七条との間に流れる冷たい空気を感じた他の学生達が、慌てて浴室を出て行ってしまったのだ。 そして啓太は取り残された。 「お前が言葉を選ばないから、ああやって迷惑な噂を立てられるんじゃないのか」 「あなたに対しては最大限に言葉を選んでいますよ」 何故、こんな所でこの二人が鉢合せしなければならないのか、啓太は心の中で頭を抱えた。いくら自分の運が良くても、流石にこの後、王様や女王様が来るとは思えない。 「会長にも困ったものですね。もう少しご自分の仕事に自覚と責任を持って頂かないと」 「甚だ不愉快だが、その意見には賛同する」 そう言うと中嶋はすっと立ち上がった。 「先に上がる」 と、啓太の方を向いて、言った。 そして、さっさと出て行ってしまった。 七条は、それこそ何事もなかったかのように髪を洗い、身体を洗う。 「あ、あのぅ」 啓太は七条に恐る恐る声をかけた。 「なんですか?」 七条は微笑んだ。その笑みは柔らかい。 「中嶋さんの入浴時間は外してって…」 沈黙がつらいかも、と思って切り出してみたのだが、中嶋の名を出した瞬間に他の話題にすれば良かったと啓太は後悔した。が、しかし七条はいたって普通に答えた。 「お互いの精神衛生の為にね。僕もわざわざあの人の顔を見たくありませんから。まぁ、極めるなら会長にご自分の仕事をこなしてもらうように仕向けることなんでしょうけど、それではあの人の手伝いをしてやっているようなものですから、そこまではね」 と、七条はウインクした。 他の話題だったらどんなにか魅力的なウインクだったろうか。啓太の背筋は寒くなった。 「伊藤君、良かったら背中を流してもらえませんか」 「は、はいっ良いですよ」 普段の七条の、ノートパソコンを持ち歩いている姿を見ているとインドア派のイメージがあるので、存外に背中が広く感じる。さっきまで中嶋を見ていたせいか、何となく比べてしまうが七条の方には“大柄”という言葉が合うような気がする。 「あまり人に洗ってもらうことなどないので…今日は伊藤君に会えてラッキーでしたよ」 「そう言われると、七条さんはじょ…西園寺さんの背中を流しているイメージが浮かんでしまうんですけど」 「郁はあれで、そういったことは全部自分でやらないと気が済まないんですよ」 七条が喉の奥で笑った。 「今日、一緒に来てないでしょう?」 「そう言われてみれば…そうですね」 あの険悪な雰囲気の中、西園寺か丹羽が現れるという“幸運”は来なかったが、中嶋が大して七条に絡まずに浴室を出たことで事なきを得たのはある種の幸運だった気もする。 「伊藤君は、もう洗ったんですか」 「はい、済ませました」 七条がくるりと向き直った。泡の付いたままの両手を伸ばして、啓太の首をそっと包んだ。真っ直ぐ瞳を見つめたまま動かない。首筋に当てられた掌は心持ちひんやりしている気がする。 啓太は段々緊張してきた。 泡だらけの手が何かを探るように動き、先程、中嶋がやったことを思い出させた。泡の滑りが、少し気持ち良い。 と、七条が手をすっと引いた。 「お湯に浸かっていた時間が長かったでしょう?」 「んー…」 考えてみると中嶋が入ってくる前に湯に浸かってて、その後、再び浸かっているから長いといえば長いかもしれない。 「そうですね」 「伊藤君の手が暖かかったようなので…顔も少し赤いですし、動悸が早くなっているようですね」 「それで、首…」 「そろそろ上がった方がいいでしょう。のぼせてしまいますよ」 「はい、そうします」 啓太は立ち上がった。 「あ、ちょっと待ってください」 七条はシャワーの栓を捻って啓太の首筋に湯をかけた。そっと撫でながら泡を落とす。 「すみません、さっき、泡を付けたままだったので…さ、いいですよ」 「もう、七条さん、サービス過剰ですよ」 首に手を当てていたのは脈を診ていたんだと思うと、変な緊張をしてしまった自分が気恥ずかしいのでふざけて言った。 「伊藤君になら、もっとサービスしてもいいんですけど」 七条が満面の笑みを浮かべた。 啓太の頬に朱が走った。 「そんな顔を見ると、成瀬君が伊藤君の事をかわいいかわいいと言うのが分かるような気がしますね」 「すみません!お先に失礼します!」 早足で浴室を飛び出し、後ろ手で扉を閉めた。 閉められた扉を見やって、七条は湯に浸かった。 「あ…楽しくてつい、忠告するのを忘れていましたね…あの分では更に墓穴を掘るでしょうねぇ」 七条はくすくすと一人笑いをした。 「あまり笑い事ではないけれど…」 と、再び扉を見た目は笑っていなかった。 その、閉めた扉の向こうでは、自分の服を入れたロッカーに行こうとした啓太が、自室に帰ったものと思っていた中嶋に遭遇しているところだった。 「何だ、その驚いた顔は」 啓太が自分の顔を見て露骨に驚いた顔をしたのが気に入らなかったのか、中嶋は聞いた。 「俺がいては不都合だったか」 「もう、帰られたと思ったから驚いただけですよ」 そう言って、啓太はロッカーに手を伸ばしたが、中嶋がすかさずドアを押さえた。 「中嶋さん…!」 「そんなに七条といるのが楽しいのか」 「何を…あの、俺、湯冷めしてしまうんですけど」 中嶋は啓太をロッカーに追い詰めると、左手をロッカーに付き、もう右手の人差し指を啓太の顎に這わせた。 「まだ、大丈夫だ」 中嶋が言った。 「あいつと関わるのは俺が許さん」 「そんな勝手なこと…」 腰にタオルを巻いただけの心許ない格好の啓太は、自分の置かれている状況と、中嶋の指と、七条の事とで何がなんだか分からない。 「先に上がる、とちゃんと言っただろう」 「あれ…待ってるって意味だったんですかぁ!?」 「お前はまだ俺の事が分かっていない」 中嶋はそう言って薄笑いを浮かべた。指は相変わらず啓太の顎を左右に行ったり来たりしている。 「しかも何が“お互いの精神衛生”だ。勝手に予定を探られていたかと思うと虫唾が走る」 「ちょっちょっと待ってください、中嶋さん」 どうやって中の会話を聞いていたのか、七条の台詞をきちんと把握している。 「でも、中嶋さんだってわざわざ七条さんに会いたくないんでしょう?」 「無論だ」 「じゃあ良いじゃないですか、向こうが気を利かせて会わないようにしてくれてるんですから…」 中嶋の指が止まった。 首を少し、傾げた。 「お前は本当に分かってない」 顎から指を離し、啓太の髪に差し入れる。 「俺があいつにそんな事をされて喜ぶ男だと思っているのか」 「そ、そこはモノの考えようで」 啓太の背筋がぞくりとした。 「しかも七条を庇うのか」 「そうじゃなくてぇ!ああもう!どう言えば分かってく…くしゅんッ」 寒気が走り、思わずくしゃみをしてしまった。 「もう冷えてしまったか」 中嶋は啓太から離れて、ロッカーの扉を開けてやった。それを合図に啓太は素早く服を着る。その様子を見ていた中嶋の目は、心なしか残念そうな光を湛えていた。 「温めてやっても良いが悪趣味な奴がいるからな」 「え、何か言いました?」 着替え終わった啓太がきょとんとした顔で見上げる。 「いや、俺はもう行く」 そう言い放つと、踵を返して更衣室を出て行った。 「何なんだよ、一体」 啓太は少しむくれた。 中嶋さんも七条さんも訳が分からないよ。 浴室の方で物音がした。もうすぐ七条が上がってくるかもしれない。 ここで今度、七条と鉢合せしたらまた面倒なことになりそうな気がして、早々に退散することにした。そう、部屋に戻ったら明日の予習をしなければならないのだ。 啓太は更衣室を後にした。 中嶋や七条の思惑は、知る由もない。 <了> |
| ◆ええっと。 いきなりですが、三角関係ちっくな話にしました。 元々のネタでは、中嶋くんと七条くんの陰険漫才in風呂場だったんですけど、 あの人達の会話の組み立てがまだちょっと掴めてないので(汗)。 でも私は、三角関係ちっくにじれじれなのを書けて満足だ! これで読んでくれた方が 「うを〜!じれじれするぅー!うがぁー!!」 と思って下さったら大変に嬉しいv ◆何か、時期的にいつの話だか微妙なんですが、基本的に啓太は遠藤くん以外のキャラとの カプーだと、何も知らない方がいいので…心が咎めるものですから(^^ゞ とりあえず、そこら辺は流しておいてくださいませ。 ◆ところで中嶋くんて、暴走しますね…(汗)。書き始めるとどこまでも行ってしまいそう。 攻め中嶋くんを書く方は皆、そうなのかな? |